判断と選択の日々②

次の日新しい小学校に出向く。

この学校は端から見たら綺麗で設備もちゃんとしていて、なぜ私が選ばなかったのか疑問に思うような学校だ。選ばなかった理由は簡単で、8月下旬にその学校を訪問した際、あからさまに美術の先生が迷惑そうな顔をしていたからである。確かに相手の立場になって考えてみるとアラビア語も喋れない迷惑でおこがましい存在ではある。

行ってみると案の定、快くない表情だった。

この日から、あからさまな意地悪な目に遭った。挨拶をしても無視をされ、授業中もほとんど無視かと思えばいきなり授業をやらされ、しまいには一人にされ本人はどこかにいってしまう。そして屈辱的だったのが教室の床に落ちていた未開封のWFPのビスケットを指差して「お前のだ。」と言われたことだった。

三日目の朝なぜか校長にまで怒られる「なぜ、壁に絵を描かない!なぜ家で描いてこない!義務だ!義務だ!」と詰められる。これはおかしい。

三日目、四日目美術の先生は少し態度を変えてきた。急にコーヒーや紅茶を差し出してきた。何が起きているのかさっぱりわからない。不信感は募るばかりだった。

帰り道二人の生徒がついてきた。「頼むから一人にしてくれ。疲れてるんだ。」というくらいに参っていた。

ここでやっていくのは無理だと判断して、カウンターパートに相談しに行った。されたこと、起こったことを話し「私は彼女とは仕事はできない。」と伝える。カウンターパートも異常さを理解してくれて学校を変えることになった。今度は自分が見た中でほんの少しだが手応えがあった学校を二校選び、三日間行ってみてその中から一校を選ぶということになった。

情けない話だが、本当に狼狽えてばかりの毎日だ。この一週間は生きた心地がしなかった。

いつものアジュルンの町が色褪せて見えた。