「こらっ!」と言えるヨルダン人「こらっ!」と言えない日本人

私は後者である。

そのせいでいくらか損もしてきたし、器の大きさを示したくて見栄を張ることだってある。でも、そんなモノはくだらない。

 

ヨルダン人はすぐ怒る。感情むき出しである。毎日のように近所から怒鳴り声が聞こえる。

タクシーの運転手は常に不機嫌だし、ちょっと渋滞しただけでけたたましいクラクションの意思表示が始まる。この前なんかバスに乗って出発するのを待っていたら、隣の停車中のバスの運転手が大声張り上げて激怒していた。おっかないなぁ、でもあのバスじゃなくてよかったなんて思っていたら、その運転手が運転席の扉をこちらのバスに容赦なくガンガンぶつけてくるではないか。矛先こっちかよ…。(その後、何事もなかったかのように出発しました。)

場面が学校に変わったところで何も変わりがなく、むしろ権力関係のあるこっちのほうがキビシいのではないだろうか?

一体何にそんなに怒っているのか聞いてみたいものである。

「怒る」社会ということは「怒られる」社会でもある。子ども達の様子をみていると如何に「怒られ」慣れているのかがわかる。上手く言えないけれど、効果がないわけじゃなくて(実際、校長室に行きたくなくて泣いてるちびっ子もいる。)

 

感情を抑えるのが美徳とされる日本人と、感情を露にするヨルダン人。どちらが健康上善いのだろうか?

沸点の低さにはじめは驚いた。銃社会でもあるがゆえに怒ったら何をするかわからない恐怖を感じたが、それはどこの国のどの人間にも当てはまることで、誰だって人間である以上何をしでかすかは当人にだってわからない。銃が無くたって現に人は殺せる。

 怒られるのは嫌だけれど、怒れないのもちょっと情けない話なのだ…。ちょっと羨ましいのだ。

(今回のタイトルは中島らも『「こら!」と言えない日本人』より拝借しました)