判断と選択の日々①

20171022-

小学校と高校一週間ずつ交代で二校に通って1ヶ月が過ぎようとしていた。

美術の授業はあるけれど美術室もなく、絵具も画用紙もないお金もない。高校には美術室はあるが生徒数が多いためなかなか授業で使えない。授業は生徒が各自用意したノートに鉛筆でひたすら絵を描いている。

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小学校の先生とペットボトルのからくり工作をしようという話になり各自ペットボトルを家から持って来させた。授業で試作品を見せた時のまるで魔法を見たかのような反応は今でも忘れられない。息を飲むとはこういうことなんだと思った。

だけれど授業は失敗だった。このくらいならできるだろうという予想が大きく外れた。いつも絵しか書いてない子ども達が、急にハサミやカッターを使いこなせるわけがなかった。45分の授業では無理があった。子ども達はやる気で満ちているが、材料が多ければ多いほど工程が多ければ多いほど収拾がつかなくなった。そして、ペットボトルすら持って来れない子も中にはいた。それでも横で先生は作業工程を懸命に説明してくれた。結局、私が一つ作って見せてあとは各自家で作ってくるという何ともやるせない形になった。

 

ある日の授業中、生徒がWFP(国際連合世界食糧計画)が毎日配給しているビスケットを配っていた。配り終えた段ボールをゴミ箱代わりの段ボールの上に置いた。ちょうどいい大きさの段ボールだと思い、素材として使おうと担任の先生の許可を貰い拾った。それを見ていた美術の先生が「何で拾った段ボールを使うの?」と聞いてきた。「物がないからさ。」「私はそれを使うのはイヤだ。」と言われた。そのとき私はよくわかっていなかった。

そのあとそれを見ていた何人かの子ども達がこの段ボールをこの人は欲しいんだと認識したらしく何個か持ってきてくれた。それを畳んで準備室に持っていっていいか尋ねたら彼女は怒ってしまった。なぜそんなに怒るのか理解できなかった。普段穏やかな彼女が怒るということは理解を超えた何かがあるんだろうけど見当もつかなかった。やってしまった…。と頭を抱えるしかなかった。

そのあと聞いたら、段ボールを使うのがイヤなのではなくて一旦ゴミになった段ボールを使うのがイヤなのだそうだ。学校の売店から貰ってくる段ボールはいいそうだ。

「清潔さは信仰の半分である。」とコーランにある。ゴミになる=「不浄」なものになる。ということなのだろう。許可をくれた先生もムスリムだ。彼女がここまで敬虔だとは知らなかった。何度も手を洗ったか確認された。なかなか理解が難しいが、こちらの無知を謝った。

 

次の日カウンターパートから「そこの小学校は生徒数も多いし、素材もないから今日で終わりにして別の学校に変えよう。」と連絡が来た。正直だんだんと美術の先生と上手くいっていないと感じていた。相手はもっとそう感じていたと思う。だんだんと疲れていくのが目に見えてわかっていた。段ボールの件もあって、これも何かのタイミングだと思い流れに逆らわないことにした。今度は自分で決めないで、現地の状況をよく知っているであろうカウンターパートにオススメの学校を聞いた。言われた名前の学校を聞いて少し気が重くなった。