暴力的なまでのダイジェスト版
あっという間に語学訓練、ホームステイ、ドミトリー生活が終わった。
7/4〜8/22までの51日間全くブログを更新しなかった。ここまで更新しないとは自分でも驚きだ。
繋がりにくいwifiのせいでも、ドミトリー生活のせいでもない。ただの怠惰だ。
ヒジャブ(ムスリム女性が頭に巻いている布)さえ見慣れてしまったけれど、それでもなんとか振り返って記録しておこうと思う。
7/4ヨルダン アンマン空港に到着。
福島〜成田〜ドバイ〜ヨルダンの長距離移動でへろへろのまま、ヨルダンの痛いくらいの暑さに慄きながら荷物と一緒にワゴンに詰め込まれた。
(広すぎるドバイ空港。セグウェイで移動したかった。)
その後、休む暇なくオリエンテーションの連続だった。全く情報が頭に入って来ず、「とにかく休みたい」ことしか考えられなかった。
オリエンテーション、大使館や何やかんやの挨拶を終え、7/11にやっと語学スクールが始まった。
訓練所ではアラビア語フスハー(標準語。ニュース、本、映画字幕などはフスハーだ。)を学んだが、現地ではアラビア語アンミーヤ(現地語。特に発音は違う。)を学ぶ。
ヨルダンに来て驚いたことは大変英語が通じるということだった。
ここでも英語は強かった。
英語もアラビア語も話せない私は現地の人に「アラビーエシュワイ、イングリーゼェシュワイ、ヤーバーニーエ クティール」が持ちネタになった。配属先訪問でも笑ってもらえた。(笑っていられるのも今のうちだろうな…。)
クラスメイトの同期隊員が英語ができたので大変助かったが、だいぶ頼りすぎてしまった。
言語習得の道程は遠い。
7/27-29ゴールマズラ地区にてホームステイ。
アンマンから死海の方へバスで南下する。
イスラム文化の特徴の一つとして性差がはっきりしていることが挙げられる。
バスの車内では男性は女性に席を譲る。女性(ムスリメ)の隣に男性は座らない。
性別で分けられる座席。
日本の女性専用車両を思い出した。日本の解決策は短絡的だとも思った。
話をゴールマズラに戻して。
ステイ先はマリアンという女性のお宅にお世話になった。マンサフなどたくさん御馳走してくれた。皆で手で食べたことは良い思い出だ。
(女性達がキッチンに集まって料理をする姿は圧巻だった)
アラビア語もロクに話せない私は子ども達の無邪気さと身勝手さにだいぶ救われた。
ゴールマズラはとてもじゃないが昼間は暑くて活動できない。だからか現地の人はとてもよく昼寝をする。
二日目は同期隊員のステイ先のバーバ(お父さん)がハマーム(鳩)とドゥブ(イグアナ)を食べさせたいと子ども達(姉妹)と一緒に猟に連れて行ってくれた。
残念ながら一匹も捕ることはできなかったが、夕暮れでさらに赤みを帯びた岩肌の景色、風を浴びながら聴いた帰りの車内での子ども達の歌声が疲れた身体に染み込んだ。
その日の夜、私以外の大人達はテニスに出掛け、疲れた私は子ども達と家に残った。
しばらくして妹の方が貯金箱を持ってやってきた。
「これがいっぱいになったら、近くのお店で化粧品を買うの。だからお願い。」
あららら。
ちょっと待って、考えさせてくれと頼んだ。
今日一日子ども達が本当に良くしてくれた事や笑顔が浮かぶ。同時にあげる行為のおこがましさと今後来るボランティアや日本人の事を考えていた。
しばらく考えたあと、5クルシュを貯金箱に入れた。
これは内緒だよと。
全てのボランティアや日本人が同じことをする訳ではないと、拙いアラビックで話した。二人はとても良く聞いていたが、きっと伝わってはいないだろう。
二人はとても喜んでいた。私は落ち着かない気持ちになった。
翌日ゴールマズラを去る日、見送りに来てくれた二人。
相変わらず気持ちは落ち着かないままだった。きっと私の取った行為が良くなかった証拠だろう。
アンマンに戻ると涼しい風が吹いていた。